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沖縄本島南部戦跡を羽衣の舞台に

『季刊沖縄』第30号掲載 2006年4月30日発行
城下町に蝶を翔ばそう会会長 高良 鉄夫 氏
 

はじめに

 羽衣と言えば絵画や郵便切手等に物されている天女の羽衣が脳裏にひらめくでしょう。
ここに述べる羽衣は,天女の羽衣だけを指しているのではない。冒頭で端的に述べるならば魂のこもった大型蝶,即ちオオゴマダラ(まだらちょう科)を含めている。
 オオゴマダラは,きらびやかな黄金色の蛹から羽化した(成虫になること)とは言うものの,天女の羽衣のような,はなやかな美しさはなく,大小黒斑のある地味な色彩をしているが,羽振りがふわりふわり,ゆったりとして,どこから見ても天女の舞いを連想させる魅力的な奇抜な飛翔をする特性があり,また秘められた不思議な力を保持している。
 オオゴマダラには未解明の分野が多いので絶えずオオゴマダラの動きを観察していると何らかの新たな示唆が得られよう。それは新事実の発見につながることもある。
 

夏の早朝は蝶とハブの花盛り

 昭和9年(1934年)の夏沖縄本島島尻南部の蝶相を調査する機会があった。
 早朝の野路は蝶も多いが,ハブの出没が活発なので人影はまばら。
 沖縄の夏は暑いので朝夕の涼しい間が農作業は効率的であるが,その時期はハブの危険が心配になる。同志の友よ仲間よ蝶に夢中になって足もとの注意を忘れてはならない。
 喜屋武岬から知念半島に至る隆起石灰岩地帯はハブの生息に好適な岩屋が多く,それがサトウキビ畑に接していると,ハブの巣くつになり易い。
 サトウキビはネズミの好物,ネズミはハブの最好物である。人里遠く離れたサトウキビ畑は,ネズミの独壇場,それを狙ってハブが潜入する。次いでハブとネズミを求めてマングースが進入する。早朝の林緑のキビ畑では,ハブとマングースの決闘,野外劇を見ることができる。だが,ハブに足を打たれないという保証はない。
 ハブに注目していた関係であろうか,摩文仁の原頭に至る間,3回もハブに出会っている。
 大渡集落の近くと記憶しているが,サトウキビ畑に接したアダン(たこのき科)の中高木の群落があった。その中における大形蝶の昼寝情景を探るべく内方に踏み込んだところ,あに図らんや,足もと2メートル先の岩陰にハブの大物がすやすや,あっと言う恐怖の奇声とともに足は立ちすくみ,しばらく思案に暮れる。
 賢者は危きに近寄らず,触らぬ神に祟りなしのことわざが脳裏をかすめたので,直上径行のハブに悟られぬよう,抜き足,差し足でさけること,およそ30メートル(ハブは地上の振動音に敏感である)。
 

摩文仁の原頭は羽衣の舞台

 ハブに脅かされて,摩文仁原頭に辿り着いたのは昼下がり,小高い所でひと休み,ハブの恐怖も覚めやらぬうちに,何気なく上空を見上げると,およそ10匹のオオゴマダラの群舞,寄りそうたり離れたり,上がったり下がったり,夏雲と青空を背景にした群舞の姿と演技に感動を覚える。この悠長な舞いはあちらにも,こちらにも見れば見る程に味がでる。
 夕やみが迫るにつれて三々五々連れ合って西南方の雑木林や丘に向かって去って行く。正にうるわしい光景であり,三々五々の舞いは揃って寝座へ帰る喜びのしるしであろうか。
 そこで思い出したことは,昭和4年頃の夏,石垣島川良山谷間の山道上空を,およそ8匹のオオゴマダラが列を成して名蔵原頭に向けて移動する舞いである。
 摩文仁原頭で,このような移動行列は,かつて見たことがない。オオゴマダラの移動隊形は地形・気圧並びに気流が関与していたのか,寡聞にして知らない。
 オオゴマダラの密度が高まると,行列の現象が見られるかも。何故に摩文仁地域にオオゴマダラが多いのか,集団休眠の情景を見るべく翌日早朝,前述の雑木林や丘を訪ねた。
 オオゴマダラは早寝早起の習慣が確立されていると古老は言われるが,それを示唆しているかのように空一面にオオゴマダラが飛びあい,雑木林の中には見当たらない。丘の断崖下で,磯浜近くに3匹のオオゴマダラが潮風に涼を求めてホウライカガミのつるにしがみつき,朝寝をむさぼっていたにすぎない。
 摩文仁地域のホウライカガミについて分布状況を調べたところ,つるになって崖縁や大木に巻き着いているのもあるが,多くは岩根や大木の根もと近くに簇生している。まれに地面に這っていたこともあるが,小松原,アダン(たこのき科)の群落,雑木林等の緑辺にはヒルガオ,ノアサガオ等の蜜源野草が多く,また,雑木林には,オオハマボウ,サキシマハマボウ等あおい科の花木が多く混生している。集落や民家の垣根,軒端,墓地及び霊園等の空き地には,あおい科の蜜源植物が人為的に植栽されており,幼虫の天敵アシナガバチ(すずめ蜂科の一群,脚長蜂)が少ないことにも由来しよう。
 沖縄の風土は蜜源植物や幼虫の食草が豊かで,強力な天敵がいなければ大形蝶が特段に発展することを示唆している。
 当時,何故にこの地域にオオゴマダラが集中していたのか,現地の状況から考察するとホウライカガミの分布密度が,他の地域よりも著しく高く,天敵のアシナガバチが見当らなかったことは,環境抵抗がほとんどなかったことであろう。丘の岩根や大木の根元にはホウライカガミが簇生しており,一見人為的な植栽と思ったが,よく吟味すると自生していた。
 

所縁の地に清ら蝶園

 財団法人沖縄協会(東京,小玉正任会長)は沖縄平和祈念堂に隣接して“清ら蝶園”を創設された。欣快の至りで諸手を挙げて賛同したい。
 同地は筆者がオオゴマダラの群舞に感動した所縁の場である。
 小玉会長と筆者はハブ研究の同志,以心伝心というか,期せずしてこの地に清ら蝶園を新設されたのはオオゴマダラの秘められた不思議な力によることであろうか。
 昭和時世の同所の地形,地物は沖縄戦によって,また建設工事等によって破壊され,原形をとどめない程の姿に変わっているが,方位等から考察して,この地に間違いないと考える。
 筆者は去る12月14日,清ら蝶園を往訪したが,清ら蝶園は縦9メートル,横15メートル,高さ3メートルの鉄骨,細目の金網及びビニール張り,天敵の侵入防止,温度の調節等が出来るように配慮されている。内部に蜜源植物及び幼虫の食草となるホウライカガミ等が植栽されており,オオゴマダラが年中生育できるように整備されているのでオオゴマダラから見れば,正しく地上最良の楽園である。
 比嘉所長は慰霊祭に大量のオオゴマダラを放ち特段の成果を企図しているが蜜源並びに食草になるホウライカガミの苗不足に悩んでおり,同清ら蝶園では広く一般から物的援助を期待している。関係機関,団体等のオオゴマダラの友よ,相互援助の誠を発揮しようではありませんか。
 オープンに列席していた学童たちは,この施設を見聞きして目を輝かせており,未来に大きな希望を託しているようであった,とは同席した城下町に蝶を翔ばそう会の幹事長大城安弘博士の言。オープンに列席していた学童たちは目の輝きを失わず,オオゴマダラを通して自然科学系の大物になることを念願し且つ期待する。
 大城幹事長は施設をたたえるとともに最大の協力をしたいと決意のほどを述べている。大城安弘氏は鳴く虫の専門家でもある。清ら蝶園が一段落せば,それに隣接して鳴く虫の楽堂を設置し,自然の音楽を拡声器を通して摩文仁原頭に流したら如何なものかと語っている。正に同感である。大いに賛同したい。
 

清ら蝶園開園のあいさつ

 沖縄平和祈念堂の清ら蝶園のオープンにあたって沖縄協会小玉会長は次のような挨拶を述べている。
 本日は,お忙しいところ沖縄平和祈念堂付属蝶園の開園式にご出席頂き誠に有り難うございます。
 この蝶園の建設に当たっては県内外各方面から温かいご声援を頂きました。
 とりわけ,株式会社沖縄庭芸代表取締役渡嘉敷正彦様,那覇東ライオンズクラブ会長上間常秋様,有限会社サンワ産業代表取締役前門嘉信様,宇根農園代表宇根良一様には実施面で格別のご指導ご協力を頂きました。本日ここに無事開園式を営む事ができますのは,ひとえに皆様の力強いサポートの賜物と存じ,改めて心から感謝申し上げます。
 沖縄平和祈念堂は先の大戦で亡くなられた全ての人々の御霊を追悼し世界平和を希求する沖縄県民の悲願の象徴として昭和53年10月に創建され,以来四半世紀以上に亘り美と平和の殿堂を目指した環境整備が推進されてきました。この環境整備の目玉として,理想的な蝶園が本日誕生したことは誠に意義深く,平和祈念堂の理念普及に特別の役割を担っていくものと確信しております。
 花園に蝶が舞う光景は人々の心に美と平和の感情を呼び起こし,環境の大切さを教えてくれます。平和の使者として万人に愛される蝶が平和祈念堂を訪れる人々を優しく迎え,命の尊さと平和の大切さを無言のうちに訴えかけるその情景は取りも直さず平和祈念堂の理念の発露と存じ感慨無量でございます。
 沖縄協会では,終戦60年記念事業として沖縄平和祈念堂大使の創設と付属蝶園の建設整備を構想しました。平和祈念堂大使は去る8月に14名が誕生してすでに活動しており,付属蝶園が本日誕生しました。これを機に役職員一同心を新たにして平和創造への使命遂行に取り組んでまいる所存でありますので,今後ともよろしくご支援ご鞭撻下さいますようお願い申し上げます。
 

外国におけるオオゴマダラ

 ホウライカガミ属は,熱帯アジア,マレーシア,オーストラリア等から,およそ40種知られている。
 昭和54年10月,沖縄の伝統芸能文化(三味線の胴張)になくてはならないニシキヘビの資源量調査のためタイ国を往訪した。
 カンチャナブリの田舎町の郊外と記憶しているが,沖縄のオオゴマダラよりも,ひと回り大きなオオゴマダラに出会った。大木の陰に休息していたゾウに邪魔されて取り損ねてしまったが,今考えると貴重な資料であった。
 参考に述べると沖縄産のオオゴマダラの翅の開張(翅を広げた時の幅)はオスは12センチ内外,メスは少し大きく13センチ内外である。時たま,墨を流したようなすすけた個体が見られるが,突然変異か環境変異かよくつかめない。
 タイ国には,ホウライカガミの種類が多いと言われているので,タイ国のオオゴマダラが大きいのは,ホウライカガミの種類によることであろうか。
 

むすび

 沖縄協会が摩文仁原頭に清ら蝶園を設営されたことは,我がことのようにうれしい。昆虫同志として,特段の発展を念願し,且つ期待する。
 摩文仁原頭のオオゴマダラの地盤は海浜近くに多く見られたが,それはオオゴマダラの蜜源植物となり,幼虫の唯一の食草でもあるホウライカガミが,海浜近くに多く自生していたためである。戦争で一掃されて今日では自生種は容易に見当たらない。
 摩文仁一帯を南部戦跡羽衣の舞台に築き上げるためには,並大抵の努力では所期の目的達成は前途遼遠であろう。
 関係機関,団体等の積極的な協力が必要なことは申し述べるまでもない。
 社団法人沖縄県脳卒中等リハビリ推進協議会(沖リ協)の付属施設農芸リハビリセンターのぞみの里作業所(永坂生子所長)では沖縄平和祈念堂並びに清ら蝶園設立の趣旨に賛同し,オオゴマダラの拠点つくりにホウライカガミ1万鉢の育成に努めている。
 
 
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