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摩文仁に“命と平和のシンボルを”飛ばそう

『季刊沖縄』第30号掲載 2006年4月30日発行
オオゴマダラを楽しむ会会長 親父祖 善繁 氏
 

蝶に魅せられて

 昨年,沖縄平和祈念堂に「清ら蝶園」が開園し,今年の“慰霊の日”には,祈りを込めた“平和の蝶を舞わす”と,所長の比嘉氏から電話をいただいた時,やったな!と,喜ぶと同時に大仕事になるぞと覚悟を決めました。
 “やったな”と感激した訳は,私も10年以上前から平和祈念公園内に何とかして蝶を増やせないものかと想い続けてきたのです。それは,私の公務退職後の私の生活全体に関係しています。私は定年の2年前,八重山石垣島のオモト岳(沖縄県内最高峰)真下の職場に勤務の機会を与えられ,そこで,蝶に会いました。蝶を識り,完全に蝶にとり付かれてしまいました。その形・姿のえも言われぬ美しさに魅せられ,種類の多さに驚き,変態しつつ生きる生活様式に目が離せなくなると同時に,環境の変化により,急に減少しつつある,ある種の蝶もいることを知り,その増殖についても学びました。そして,その直後に通い出した摩文仁の森に,慰霊の意味も込めて,是非,蝶を飛ばしたいと想い続けて居たからです。
 私はその何年か前,東京オリンピックの年を中心に西表島西部の網取部落に勤務したことがあります。琉球大学名誉教授の高良鉄夫先生や,動物作家の戸川幸男先生と共に,イリオモテヤマネコ生け捕り作戦を展開した頃です。生け取りには成功しませんでしたが,私が捕獲し,保存してあった毛皮と,頭骨を基に,世界の学会に新種のヤマネコだと認められ,大きな話題になりました。その西表島は,石垣本島以上に,蝶では有名な島ですが,3年間も暮らしていたのに,何故か西表では惚れ方を知らずに,退職直前の石垣島で蝶に魅せられ,15年後の今に続いている幼稚園生のような自分を愛おしく感じつつ,蝶と戯れています。
 沖縄県内にも,蝶が好きで好きでたまらない人,話す言葉の内容は全て蝶関係の方向に進んで行く人を“蝶キチ”と呼ばれる人がいます。「清ら蝶園」を夢見て計画し,言いようの無いほどの困難さを乗り越えて「清ら蝶園」の開園を実現した,比嘉氏(沖縄平和祈念堂管理事務所所長)も,まさに,その“蝶キチ”の最大級の方と云えましょう。
 彼や職員の皆さんの熱意が実って,現在(3月末)には,平和祈念堂入口では,何十個もの金色の美しい蛹が参観者を出迎え,「清ら蝶園」内では100を越す数のオオゴマダラが優雅に飛び交い,参観者の頭などにとまって,喜ばれる写真の被写体になっています。彼は,何時,何処で話していても,“平和祈念公園内”に平和のシンボルとして,また,子どもたちには,蝶の生き様に触れ,其処から命を育むことを学んで貰える様に,蝶を飛ばせねばならないと云う話を力説します。
 

摩文仁通い

 私は,摩文仁の森には月に一度以上は通っています。正月元旦に毎年行くようになってからは,15年になるのでしょうか。正月の経路は毎年ほぼ決まっています。浦添前田の家を出て,グリーンハイツから経塚―首里へ。儀保から首里中,右へ曲がり,龍潭通り,山川,松川,安里,牧志,国際通り,県庁前,壺川,古波蔵,真玉橋,NHK入口,旧豊見城役所,糸満街道,新豊見城市役所,糸満ロータリー,南部病院,名城,ひめゆりの塔,摩文仁,健児の塔入口―健児の塔まで行くことが私の生活の一部になっています。毎年廻る理由は?と振り返って見ると,当初は思いつきのお遊び心であり,半分真面目でもあったと思われますが,“祖国復帰”という歴史的な大変動の中で,今後どう変わって行くのかを観て行きたいとの想いが有ったと思われます。
 具体的に云うと,我々の生活は如何変化するのか。“日の丸”を掲げる状況は如何変わるのか。那覇の街のビルや建物は如何なるのか,等をこの目で確かめたかったのだと思われます。
 しかし,此処まで長く続くとは,思っても居ませんでしたが,今年も摩文仁の師範健児の塔での,鎮魂の礼と,健児の塔付近での蝶の観察を例年のように行いました。最近ではこちらのほうが主なねらいになってしまったようです。
 余談になりますが,今年から参拝の様子が変わりました。と言うより変わらざるを得なくなりました。これまでは,タバコに火を点けて,2〜3回吸って吸い口を向こう側に向けて捧げ,軽く目を閉じて祈るのですが,今年はそれが出来ないのです。昨年タバコを止めたからです。一瞬戸惑いました。仕方なく,初めて,両手を軽く合わせてお祈りをしました。
 

摩文仁の食草と蝶

 比嘉氏と初めてお会いしたのは,確か?年前でした。その日2人は初対面にも関わらず,蝶のことに関して,よく喋ったことを覚えています。その日の内に,平和祈念公園内のあちこちと,平和祈念堂の裏の森を歩き“食草”の所在を見て廻りました。
 ご存知だとは想いますが,念のために“食草”について説明をします。蝶(昆虫)の幼虫は,決まった一種類の植物のみを食べて成長します。その植物以外は食べません。それ故親はその植物か,その近くに産卵します。例えば,モンシロチョウはキャベツ,アゲハチョウ類は柑橘類という次第です。ですから,或る地域でその蝶の食草が無ければ,他に何百種類の植物が在ったとしても,その蝶は生息することは不可能です。
 平和祈念公園のある摩文仁は,周囲の地域は広くみどりに取り囲まれ,公園自体も人跡未踏に近い林を抱え,南に面していますので冬の北風を遮り,蝶の生息場所としては最適地です。それ故,10年以上続いている私の元日の蝶観察でも,晴天なら必ず数種類の蝶を観ることができ,最近の5年間は各年度の正月写真としても記録しています。
 しかし,15年を通して見ると,蝶の生息最適地に関わらず,蝶の数が確実に減っています。理由は,食草が減っているからと考えます。私の確認した場所は,師範健児の塔周辺奥や,塔から下って井戸のそばを通って,海に行く道路横やその奥のほうの岩の横や,上,公園南口から階段を下ってくる道路周辺奥等に,やっとこさ生きていたオオゴマダラの食草のホウライカガミを,歩くのに邪魔にもなっていないのに抜き取られてしまいました。トイレより南西側の奥に在る“南冥の塔”の東側からその周辺にあったのと,岩陰に群れを成して生えていたジャコウアゲハのウマノスズクサは切り倒されて,ツマベニチョウのショクジュ(食樹)のギョボクなどは,引っこ抜かれて,驚くほど減って終いました。
 その原因は単純です。公園管理者から見て,通路の美観を損ね,邪魔になる草や木を,無造作に切り払ってしまったのです。「ハブの危険性」を避け,安全確保のためと,景観確保の為に“蝶と関係のある大事な植物”であることを知らずに,無差別に除草が繰り返されてきた結果が現状です。何年も掛かって成長してきた“食草”は一瞬で切り払われ,蝶が住み辛い森に変わってきたと考えられます。
 

岩壁の鉛筆書きの遺書と蝶

 摩文仁周辺は沖縄戦の終焉の地です。浦添高台・嘉数高台は,首里・摩文仁へ戦線が移動する前の激戦地です。同じ激戦地ですが,両地には大きな違いがみられました。浦添高台には戦後になって,所属部隊・階級の付いた個人の墓がかなり築かれました。摩文仁はそれが少なく,鉛筆書きの遺書が,石灰岩の白い岩壁に生々しく残されていました。私がそれを読んだのは,1950年頃,高校を卒業した頃です。師範健児の塔の周辺のあちこちの岩壁に書かれて居ました。私は昭和7年生まれ,マリアナ諸島ロタ島出身の引き揚げ者でした。沖縄戦の経験がなく,“ひめゆり部隊”引率者の仲宗根先生の「いわまくら,かたくもあらん,やすらかに,ねむれとぞいのる,まなびのともは」等の“うた”を音楽の時間に教わって,南部戦跡巡りをしたのでしょうか。私は自分の生まれた年が非常に気になります。それは,太平洋戦争当時,国や軍に強制的に徴用された方々の年齢が,私より一つ上か,二つ上の方々だったからです。
 南部戦跡の白い岩肌に書かれていた鉛筆書きの遺書を書いた人たちは,遺書の末尾が“お母さん”だった事からも,私より幾つ上だったのだろうと考えさせられます。そして,もっと気になるのは,あの遺書は遺族に読まれたのだろうか。誰か記録に残したのか。これを書かれた人たちは,遺書の通り逝ってしまったのか,戦後も生を永らえられた方が居られたのだろうかと言う事です。どちらにしても,この方々の霊魂の為に,この森に蝶を飛ばしたいと強く願っています。
 

蝶の保護・増殖活動

 沖縄県内の蝶の保護や増殖活動が盛んになったのは,16〜7年前からです。個人的に趣味や研究のため飼育を続けていた方は居られましたが,グループでこの活動を始めたのはこれ以降です。同じ頃観光業者も有料で蝶を見せ始めました。
 1998年9月21日の新聞の記事がこの活動に火をつけました。記事は“OGグループがU公園にオオゴマダラの食草―ホウライカガミを植栽した”と報じました。
 その日からOG会の電話が鳴り続き,次の日からホウライカガミを欲しいと来訪者が増えました。
 しばらくすると各地に大小様々な「蝶を愛するグループ」が結成され活動を始めました。個人の趣味者も多数いました。こつこつ自分で楽しみ,食草を育てて皆に配るのを趣味にし,楽しみにしている者も増えました。多くの保育所・幼稚園・小学校でも飼育小屋が増え,当時,オオゴマダラの蛹を知らない小学生は皆無。量販店で蝶の食草が売られている,という珍現象も沖縄ならではでしょうか。
 この大きな流行の原因は,オオゴマダラ自体にあります。飛び方が優雅で,蛹が美しいこともありますが,他の蝶に比べて育て易く,成虫になってからの寿命が,アゲハ等が一週間から10日間位に比べて,一月以上と長く,その上食草のホウライカガミも育て易く,成長も早いという特徴が原因です。
 

さあ,協力して,植えて育てよう

 首里城下にチョウを翔ばそう会では,沖縄平和祈念堂と平和祈念公園内に“食草”と蝶のエサとなる“蜜源”を植えることにし,現在準備を進めています。
 
  1. 日 時 H18年5月28日(日)10:00〜12:00
  2. 場 所 平和祈念公園内(各所)
  3. 参加者 活動中の蝶愛好グループ,まちづくりサークル,他多くの賛同者
  4. その他 作業用具持参,雨天決行
 
 参加者については私も知り合いのグループやサークルに呼びかけておりますが,皆喜んで参加を表明し,大事業の成功に期待を寄せています。
 

維持管理について

 私は,十何年各種“食草”を各地に植栽をし,他のグループの活動に協力をしてきたが,自然相手のことなので,予想どうり旨くいくとは限らない。手近かな自宅の庭では調子よく育っても,他の生物と競合する公園などでは,育たないことがおうおうに出てくる。日当たりの具合を含め,多くの条件が関係して成功不成功が決まる。自分の植えたものは毎日,目を通しに行きたいたいものです。
 この計画の成果の大きいことを期待し,参加できることに感謝します。
 
 
 
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