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堂内のご案内

 
写真_祈念像正面

写真_刻銘者名簿

写真_堂内1

戦没者への慰霊と平和希求の願いを込めて

沖縄平和祈念堂に安置されている沖縄平和祈念像は、沖縄出身の偉大な芸術家山田真山画伯(1885〜1977)が、全戦没者の追悼と世界平和を希う沖縄県民の心を一身に担い、晩年の全生涯を捧げて制作されました。高さが約12メートル、幅が約8メートルの人間の祈りの姿を象徴した座像です。
宗教や思想、政治や人種、あるいは国を超えてすべての人が戦没者の慰霊と 平和の一点に力を合わせていこうということを10本の指を合わせた合掌の形に表現されております。
 

沖縄独特の伝統的漆工芸技法

特に、この像は沖縄の風土が生んだ世界に例のない独特の伝統的漆工芸技法でつくられております。
琉球漆器には漆に粉の絵具(顔料)を混ぜた堆錦(ついきん)という漆の餅を作り、その堆錦で漆器に装飾を施す独特の技術があります。
山田画伯は、本来平面的に使われてきたこの堆錦技法を立体的な彫刻に活かす技術を研究開発され、 この平和祈念像を堆錦、すなわち漆そのものでつくりあげました。
堆錦は気候条件に極めて敏感であり、沖縄以外の土地でこのような像を作りあげることは殆ど不可能であると言われております。
使われた漆の量は 3.5トンで中国から輸入しました。
 

「平和の礎」刻銘者名簿

平和祈念像の胎内には「平和の礎」刻銘者名簿が納められています。
 

群星(むりぶし)と霊石

像の頭上には、戦没者の御霊が宿る宇宙空間を象徴する群星(むりぶし)が輝いており、7つの海を表す7本の柱が像を囲んでおります。
また、像の台座地階には世界的基盤の上に建立された平和祈念像を意味する世界各地からの霊石が奉納展示されております。
 

仏像との相違

平和祈念像は、仏像と趣を異にしております。仏像は来世を象徴し、台座には蓮の花を配するのが通例とされていますが、平和祈念像の場合は、山田真山画伯の壮大な宇宙観を反映し、台座に想像上の花や蛟竜を配しています。
この台座の火炎は地球のマグマを表し、その上に配置されている6つの花弁は、人類が日常生活を営んでいる6つの大陸を意味しています。このように平和祈念像には、宇宙の中にあって人類の調和と地上の平和を静かに祈念する純一無雑な人類の理想像が表現されているのです。
山田真山画伯の説明によると「平和の心象を人間像を媒体にして具現すると、日本人の感覚としては必然的にこのような形になった」とのことです。
 
 

制作者の紹介

執念の人・山田真山
山田画伯は、1906年東京美術学校(現在の東京芸術大学)に入学、彫刻と日本画を専攻。
卒業後1910年清国の北京芸徒学堂の講師として赴任し、約2年間中国に滞在しました。
帰国後中央美術界の第一線で活躍し、日本芸術界に大きな足跡を残しております。
その代表作は明治神宮記念絵画館に収蔵されております。
1940年沖縄に帰郷し、沖縄戦を身をもって体験しました。この戦争で長男と三男を失っています。
二度と再び戦争を繰り返してはならないという平和への悲願を込めて1957年(昭和32年)にこの像の制作を発表した時、全県民が賛同し、とりわけ県内の小・中・高校生も拠金して応援しました。
山田画伯は、72歳の高齢をおして独力でこの大事業に取りかかり、原型が完成した時には90歳を迎えておりました。
満18年の原型制作の過程で2回の転落事故に遭遇されましたが、その都度奇跡的にこれを乗り越えられました。この像には画伯の平和への執念が深く刻まれています。
 
山田 真山(やまだ・しんざん)画伯 プロフィール
明治18年12月27日、沖縄県那覇市生まれ。明治39年東京美術学校(現東京芸術大学)に学び、東京で日本画、彫刻、工芸の創作活動を行う。昭和15年、沖縄に帰り沖縄戦を体験。長男、三男を失う。昭和32年、平和祈念像の制作を発願。以来18年の歳月をかけて原型完成に心血を注ぐ。原型完成後の昭和52年1月29日、92歳で死去。
写真_山田真山_制作中

写真_山田真山_横顔
 
 
図_できるまで

沖縄平和祈念像のできるまで

〜立体堆錦の技法〜 
 通常の漆工芸は、漆を“塗って乾かす”という作業を数十回繰り返し、一定の厚さにして加飾しますが、沖縄の堆錦(ついきん)は、漆と顔料をまぜてコネた“漆のモチ”を平らにのばし、紋様に切り取ってはりつける技法です。
 たった1回の作業で厚さと紋様をつくることができます。この技法を立体に応用した「立体堆錦」によって沖縄平和祈念像はつくられました。
 
1.原型像を作ります。
2.原型から石膏により寄型をとります。
(平和祈念像の場合は約1,000個の寄型をとりました)
3.漆と顔料を混ぜ、堆錦モチを作ります。
4.たたいて練った堆錦モチをローラーで平らに延ばします。寄型にあわせて、平たく延ばした堆錦モチを指で押していきます。
5.「さび」(沖縄産出の俗名ニービ=けいそう土の一種を漆と混ぜたもの)を作ります。
6.さびを堆錦モチの上に貼ります。(補強のため)
7.さらに麻布を貼り、更にさびを塗り、交互に重ねて厚くし、強度を強め、鉄筋も入れます。
8.寄型をはずし、でき上がった像の表面、裏面を仕上げます。
平和祈念像の組み立てにあたっては、立体堆錦をさらに強化するためFRP(ポリエステル加工)で補強製作しています。
 
 

連作絵画「戦争と平和」について

沖縄平和祈念堂の堂内壁面には、国際画壇で活躍される西村計雄画伯が制作された20点連作の絵画「戦争と平和」 (各300号)が飾られています。昭和53年に初めて沖縄を訪れた西村画伯は、沖縄の抱える暗い過去と、 それとは対照的な現在に伝わる素晴らしい文化、美しい自然、人々の温かい心に触れて、連作絵画の制作を 決意されました。
以来7年の歳月を要して完成したこの絵画は、すべて沖縄を題材に描かれ、平和を願う県民の心が表現されて います。「戦争と平和」は、平和祈念像と調和して、平和の象徴である芸術を通して平和の尊さを訴えています。
(※現在、第2作・第7作・第8作は展示していません)
 
連作_01s
第1作
連作_02s
第2作
連作_03s
第3作
連作_04s
第4作
連作_05s
第5作
連作_06s
第6作
連作_07s
第7作
連作_08s
第8作
連作_09s
第9作
連作_10s
第10作
連作_11s
第11作
連作_12s
第12作
連作_13s
第13作
連作_14s
第14作
連作_15s
第15作
連作_16s
第16作
連作_17s
第17作
連作_18s
第18作
連作_19s
第19作
連作_20s
第20作
 
【略 歴】 西村計雄画伯
東京美術学校卒、藤島武二に師事。1943年文展(現・日展)特選。戦後早稲 田中学校と高等学校の教師を勤め、51年に42歳で単身渡仏する。ピカソの画商カーンワイラー氏との出会いを契機に、53年よりパリを中心にヨーロッパ各地で個展を開催。その作品はフランス国立近代美術館やパリ市美術館に買い上げとなった。フランス政府より芸術文化勲章、パリ・クリティック賞、フランス政府よりユーマン・プログレ勲章、勲三等瑞宝章、他受賞多数。北海道岩内郡共和町名誉町民、共和町立西村計雄記念美術館開館。2000年12月4日91歳で没。
 
 
 
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