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平和学習の事例紹介(戦争体験者の方を招いて)

熊本県立大津町立大津中学校(2005年12月15日)

 12月15日、熊本県大津町立大津中学校第3学年175人が、ひめゆり証言員の宮城喜久子氏を招いて平和講演会を行いました。
 宮城氏は、ひめゆり学徒隊として沖縄戦に動員され、悲惨な状況の中、行動を共にした学友との死別や負傷兵の看護について講演し、生徒たちは熱心に聞き入っていました。
 講演終了後、生徒全員で「島唄」を合唱し、堂内一杯に歌声を響かせました。合唱を聴いた宮城氏は、「この曲は、歌手の宮沢和史さんが沖縄を訪れた時、ひめゆり平和祈念資料館を見学して、できたのですよ」 と生徒たちに紹介しました。最後に、生徒全員で戦没者へ鎮魂の黙祷を行い、平和講演会を終えました。
0201_熊本県立大津町立大津中学校
 

兵庫県明石市立朝霧中学校(2004年4月25日)

 4月25日、兵庫県明石市立朝霧中学校第3学年199名が、ひめゆり証言員の宮良ルリさんを招いての平和講演会を行いました。
 宮良さんは、自らの体験を生徒たちが沖縄の地で聞いてくれることに感謝の言葉を述べるとともに、ひめゆり学徒隊として沖縄戦に動員され、悲惨な状況の中、行動をともにした学友との死別や負傷兵の看護について講演し、生徒たちは熱心に聞き入っていました。
 講演終了後、生徒代表が宮良さんにお礼の言葉の述べて花束を贈呈、全員で「消えた八月・大地讃頌」を合唱し、美しい歌声が堂内に響きわたりました。
0202_兵庫県明石市立朝霧中学校
 

三重県立四日市南高等学校(2003年10月1日)

 三重県立四日市南高等学校第2学年318人が、ひめゆり証言員の宮良ルリ氏を招いての平和講演会と平和集会を行いました。
 生徒代表による開会の言葉につづく平和講演会では、宮良氏がひめゆり学徒隊として沖縄戦に動員され、悲惨な状況のなか行動を共にした学友との死別や負傷兵の看護について講演されました。緊迫した表情で語りかける宮良氏の言葉に生徒たちは熱心に聞き入っていました。
 次に、戦没者の冥福と平和な世界の実現を祈念して生徒全員が黙祷を捧げ、生徒代表の2人が「平和アピールin沖縄」が朗読しました。
 つづいて、一行から全員で折り上げた鶴とクラス毎に作成した平和へのメッセージをひとつにまとめた生徒手作りの造形作品が金嶺恵友管理事務所業務運営部長に手渡されました。最後に,大川智春学校長が挨拶し、生徒代表の閉会の言葉で平和集会を終えました。
0203_三重県立四日市南高等学校
 

函館ラ・サール中学校(2002年10月10日)

 10月10日、私立函館ラ・サール中学校第3学年81名が、修学旅行で沖縄平和祈念堂を訪れ、ひめゆり証言員の島袋淑子さんを招いての平和講演会と記念植樹を行いました。
 島袋さんは、ひめゆり学徒隊として沖縄戦に動員され、悲惨な状況のなか行動をともにした 学友との死別や負傷兵の看護について、パネル資料「ひめゆり学徒の勤務場所と撤退経路図」を 提示しながら講演し、生徒たちはメモを取りながら熱心に聞き入っていました。
 最後に、平和祈念堂東側広場で今回の修学旅行を記念して植樹を行いました。
0204_函館ラ・サール中学校
 

愛知産業大学三河高等学校(2002年3月18日、19日)

 3月18日、19日の両日、愛知産業大学三河高等学校第2学年(329人)が2班に分かれて平和祈念堂で平和集会を行いました。 両班ともはじめに沖縄戦記録映画「戦場の童」を鑑賞しました。 続いて、沖縄師範学校女子部本科1年生当時、学徒隊員として沖縄戦を体験した、ひめゆり証言員の宮良ルリさん、津波古ヒサさんをそれぞれ招き講演を聞きました。
 戦争を知らない生徒たちも、二人の訴える悲惨な沖縄戦の実態について、真剣に聞き入り、あらためて戦争の恐ろしさと平和の尊さを深く胸にとどめていました。
0205_愛知産業大学三河高等学校
 

奈良大和高田市立高田西中学校(2001年2月14日)

 2月14日、奈良県大和高田市立高田西中学校2年生171人が、平和祈念堂にひめゆり証言員の宮良ルリ氏を招いて平和講演会と平和集会を行いました。
 宮良氏は、ひめゆり学徒隊として沖縄戦に動員され、南風原陸軍病院で体験した当時の悲惨な状況を語り、生徒は熱心にメモを取りながら聞き入っていました。
 宮良氏は、著書『私のひめゆり戦記』を同校へ贈呈し、生徒代表のお礼の言葉で講演会を終了しました。
 続いて平和集会に移り、セレモニーの後、生徒一同から「沖縄へのメッセージ」の色紙が奉納されました。
0206_奈良大和高田市立高田西中学校
 

東京学館新潟高等学校(2000年10月5日)

 東京学館新潟高等学校2年生415人が、ひめゆり証言員の上原当美子さんを 沖縄平和祈念堂に招いて平和講演会と平和集会を行いました。
 上原さんの講演は、ひめゆりの名称の由来にはじまり、沖縄師範学校女子部・沖縄県立第一高等女学校の学徒たちが、突然、南風原陸軍病院に動員され負傷兵の看護にあたったこと、戦火に追われて沖縄本島南部までの撤退、米軍の捕虜となるまで、経過をおって従軍の体験を上原氏は赤裸々に緊迫した表情で語り、生徒たちは熱心に聞き入っていました。
 続いて平和集会に移り、生徒代表が誓いの言葉を読み上げ、代表の男女2名による献花、最後に戦没者の冥福を祈る黙祷を全員で捧げました。
0207_東京学館新潟高等学校
 
誓いの言葉
 豊かな自然に包まれ、独自の文化を守り続けている沖縄。琉球王朝の雅びの歴史が、今もなお生き続けており、美しい三線の音色が沖縄に生きる人々の息吹を感じさせています。
 今年の7月には、テレビで、新聞で、沖縄サミットの様子が報道され、首里城守礼門がデザインされた2、000円札の発行が社会の話題となるなど、華やかさが強調されていました。
 私たちは、遠く新潟で沖縄を学び、この日を迎えました。しかし、わずか55年前にこの穏やかな島を襲った戦争という悲劇は、簡単に理解できるものではありませんでした。
 私たちと同世代の少年や少女たちまでもが戦場に動員され、将来の夢や希望を叶えることなく国のためにという名のもとに命を落としました。  過酷なまでの従軍の日々の中で、彼らが体験した現実は、とても想像できるものではありません。
 また、当時の教えに忠実なあまり、我が子や、大切な人たちをその手にかけざるを得なかった悲劇。苦しみの中での、やむを得ない選択であったとしても、あまりにも悲しすぎます。  そして、多くの人々の尊い命が失われていきました。
 私たちはいま、時代の節目にいます。21世紀になると、更に戦争は、歴史の中の存在となってゆくことでしょう。 だからこそ、こうして真実を学び、全ての人々が、この事実を風化させないようにし、心に刻むことが大切です。
 新しい世紀に、世界中から争いの日々が無くなることを祈り、私たち一人ひとりが、精一杯、平和のために努力することを誓いたいと思います。
平成12年10月5日
東京学館新潟高等学校
2年10組 生徒代表
 

名古屋デザイン専門学校(2000年3月14日)

 名古屋デザイン専門学校第2学年の110名が沖縄平和祈念堂にひめゆり証言員の宮城喜久子さんを招いて平和講演会を行いました。
 宮城さんは、ひめゆり学徒隊として野戦病院への突然の入隊、病院内での負傷兵の看護、沖縄戦終焉の地・摩文仁までの撤退、米軍の捕虜となるまでを緊迫した語りで講演し、生徒も熱心に聞き入っていました。
 続いて生徒全員で折りあげた千羽鶴の奉納が、生徒代表により行われ、最後に戦没者の冥福を祈り黙祷を捧げて講演会を終了しました。
0208_名古屋デザイン専門学校
 

福岡県福岡市立長岡中学校(1999年1月26日)

 福岡県福岡市立長岡中学校が沖縄平和祈念堂を訪れ、ひめゆり証言員の宮城喜久子さんを招いて戦争体験の講演が行われました。
 宮城さんは激しい沖縄戦の中でひめゆり学徒隊として野戦病院に入隊し、負傷兵の看護や沖縄本島南部の摩文仁への撤退の様子、そして捕虜となるまでのことを語られました。
 その後、戦争当時卒業式のために作られ、ひめゆり学徒が歌うはずだった「別れの曲(うた)」を生徒代表が熱唱し、犠牲となられた多くのひめゆり学徒隊の御霊を慰めました。
0209_福岡県福岡市立長岡中学校
 
 
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