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「季刊沖縄」第18号、2000年10月31日発行に掲載

沖縄修学旅行と平和学習 沖縄の過去、現在、そして未来

神田 実(福井県立若狭高等学校教諭)
 

沖縄との出逢い

 本校は、3年前に創立100周年を迎えた伝統校ではありますが、修学旅行が実施されるようになってまだ10年も経っていません。そんな歴史の浅い本校の修学旅行が「沖縄」へ行くようになって、今年平成12年度の修学旅行で第6回を数えます。私は本校へ赴任して4年目になりますが、一昨年の第4回と昨年の第5回との2回にわたって 沖縄への修学旅行を経験することができました。
 一昨年については、自分が担任している現3年生の修学旅行を企画する上での 下見を兼ねて同行させていただきました。そして、昨年の第5回については、平和学習を含めて計画から実施にいたるまで、学年の修学旅行係として、とても貴重な経験をさせていただくことができました。生まれてから一度も沖縄へは行ったことがなかった私にとっては、初めて経験した「沖縄」が平和学習を中心とした本校の修学旅行であったことは、今後の私の教員人生において、とても大きな糧になる出逢いであったと感じています。
 そこで、今回は企画の段階から携わらせていただいた昨年の第5回修学旅行を通しての 平和学習について、記したいと思います。
 

平和学習〜沖縄の過去、現在、そして未来……

 私が担任する学年の修学旅行については、このレポートのサブタイトルにもなっている 「沖縄の過去、現在、そして未来」というテーマを設定し、企画を練ってきました。というのも、本校における過去4回にわたる修学旅行が、どちらかといえば「沖縄の過去」に 限定した感じであったことと、1995年9月に起こった「米兵による少女暴行事件」を発端にした 「沖縄の米軍基地問題」をめぐる各種報道の高まりがあったからです。
 しかし、あくまでも沖縄戦についての歴史的真実に目を向けるということが基本にありました。そして、沖縄戦以前の琉球王国のことや現在における沖縄の地理的地誌的状況にも触れながら、生徒たちには、一日本人として、一人間として未来の沖縄の姿へも目を向ける心を抱いて欲しいと願い、各種プログラムを計画しました。ですから、沖縄戦の戦跡以外の沖縄にも触れた上でこその 平和学習なのだと位置づけていた次第です。
 幸い本校では、修学旅行実施の約10カ月前の2月に校内ディベート大会が企画され、そこで「普天間基地移設問題」についての討論が展開されていたこともあって、生徒たちの中には「沖縄の基地問題」に対する意識の種が、例年の生徒たちよりは早期に播かれていたのではないかと推測していました。
ただし、全員の生徒たちが「普天間基地移設問題」について携わったわけではなく、例年よりは一部の生徒だけ(約3分の1にあたる120名程度)ではあるものの「最近の沖縄」について 事前に触れる機会があったというところが正直な感触でした。
 修学旅行という手段を通して、平和学習に向けて実際に動き出したのは 新年度を迎えた平成11年4月以降のことでした。具体的な平和学習プログラム及び時期としては、次に示すようなものです。
 
(1)沖縄の歴史(琉球王国〜沖縄戦)概説
 プリント資料による本校教員による講義(約20分)
(2)沖縄の地理的地誌的概説
 プリント資料やVTR資料(註)による本校教員による講義(約20分)
 (平成11年5月実施、(1)(2)の2本立て1セットにて実施)
(3)沖縄戦体験者による講演「元ひめゆり学徒隊・与那覇百子氏」を前にプリント資料による事前学習
 (「沖縄戦とひめゆり学徒隊について」:各平成11年6月初め、クラスタイムにて各担任により)
(4)映画「ひめゆりの塔」
 (キャスト:沢口靖子、後藤 久美子、永島敏行他、平成11年6月4日実施、本校体育館にて開催:約120分)
(5)沖縄戦体験者による講演「ひめゆりたちの沖縄戦〜未来への伝言〜」
 講師:元ひめゆり学徒隊・与那覇百子氏(平成11年6月11日実施、本校体育館にて開催:約80分)
(6)上記(5)の講演を聴いての感想文作成(講演の直後)
(7)沖縄戦の詳細と沖縄の基地問題
 プリント資料や VTR資料(註)による本校教員による講義(約60分)
 (平成11年11月5日実施、修学旅行中における大田昌秀前沖縄県知事及び 嘉手納町宮城篤実町長と基地渉外課職員による講演を前に)
 (註)上記プログラム内容中のVTRについては、「1フィート運動フィルム」及び 各種沖縄関連報道映像などをベースにした本校教員によるオリジナル編集ソフトを使用。
(8)修学旅行第1日目(平成11年12月7日)
  • 摩文仁ヶ丘平和祈念公園見学(平和の礎、福井の塔など)
  • 沖縄戦体験者による講演「沖縄の過去、現在、そして未来」講師:前沖縄県知事・大田昌秀氏 (平和祈念堂にて開催:約90分)
(9)修学旅行第2日目(平成11年12月8日)
 午前
  • ひめゆりの塔、ひめゆり平和祈念資料館見学
  • 糸数壕、ガラビ壕見学
 午後
  • 極東最大の米空軍基地を抱える嘉手納町についての講演と質疑応答 (講師:宮城篤実嘉手納町長と嘉手納町基地渉外課職員、嘉手納町かでな文化センターにて開催:約90分)
  • クラス別研修プログラム
    佐喜眞美術館見学(美術館屋上より普天間基地見学)
    安保の丘、嘉手納基地一周
    北谷町ハンビー地区見学
    琉球村見学
    沖縄戦体験者による講演「学童疎開船・対馬丸」講師:元対馬丸乗船者・平良啓子氏 (恩納村コミュニティ・センターにて開催:約90分)
(10)修学旅行第3日目(平成11年12月9日)
  • 終日タクシー研修(「沖縄の過去、現在、未来」を感じとれるようなポイントを事前に選択させた上で実施)
(11)修学旅行第4日目
  • 東南植物楽園見学
 
 以上のようなプログラムを組み実施した修学旅行から半年以上が経過しましたが、当時2年生だった生徒たちも最終学年になり、それぞれの進路に向けて日々努力しているところです。彼等が昨年訪れた沖縄では、今年7月21日から23日までの3日間、G8各国首脳が集う沖縄サミットが開催されました。生徒たちも自分たちが学び歩いた沖縄で繰り広げられた歴史的出来事をTVや新聞を通し、とても興味深く感じとっていたことと思います。
 私たちの平和学習プログラムでは、例年以上に事前学習にも多くの時間を設け、平和講演の数も大幅に増やしました。例えば、例年なら沖縄へ行ってから聴いていた元ひめゆり学徒隊の方による平和講演を旅行の半年前に本校にて開催。そして、旅行中には前沖縄県知事の大田昌秀氏、極東最大の米空軍基地を抱える嘉手納町の宮城篤実町長や 同町基地渉外課職員の方々、元学童疎開船・対馬丸の乗船者である平良啓子氏の講演を計画しました。
 また、本校教員による講義の時間もかなりとったつもりですし、オリジナル編集によるVTR学習の時間も多く設けました。そのような時間の中には、沖縄戦だけではない沖縄にも目を向けさせる内容も組み込んだつもりです。例えば、沖縄の自然や文化面、そして基地の跡地利用の様子などです。平和学習の内容全般については沖縄戦を扱ったものが主になっていますが、過去があっての現在、そして未来でもあると思っていますし、沖縄戦を知らずして沖縄の現在も未来もないのだと感じています。
 日程的には、旅行中のまる1日(第2日目)を講義、講演というようなスタイルで過ごした生徒たちもおり、日程的にとても緊張し疲れた1日になったようです。旅行後のアンケートでもそのような反応が感じとられましたが、事前に十分予想していた状況でもあり、それを分かっていた上で、半ば1日平和プログラムを強制的にした理由には、平和学習という分野においては、今の時代だからこそ、時にこのような措置を採用することも必要ではないか、との思いからでした。というのも、最近の価値観の多様化を含んだ現代社会の急激な変化の中で、「過去の真実を知らない、わからない、伝えることもできない……」という若者たちが増えつつあるような懸念を感じていたからです。
 TVや新聞報道からは、それくらい知っていて常識なのに……と思える若者たちの姿が頻繁に目に入ってくる現実を通し、正直不安の念が募るばかりです。本校でも他人事ではなく、あの8月6日や8月9日の日が何の日なのかさえ答えられない、そんな生徒たちが1人や2人ではないという"過去が風化した現実" "記憶の欠損"に遭遇し、「このままでは…」との思いに駆られていました。
 私自身、これまでの2回に及ぶ沖縄訪問を通し、沖縄という日本最南端の地から 「沖縄戦は乾いていないなぁ……平和を祈る姿勢がまるで大木の根のようにがっしりと 沖縄の大地の下にはりめぐらされているなぁ……」との感じを受けています。もちろん「広島」や「長崎」の両地についても同様の思いを感じています。まだまだ過去の真実について、知らないことが山ほどあり、自分自身を反省することばかりです。
 

これからの平和教育の行方

 第二次世界大戦や東西冷戦が終結したにも関わらず、アフリカやアジア諸地域の紛争をはじめ、世界各地ではいまだに戦争により尊い生命が奪われている現実があります。中には十代の子どもたちまでもが兵士としてむりやり徴兵されている現実も多く報道されています。社会科教科書にも紹介されている世界の紛争について、報道各社がかなり大きく報道しているにも関わらず、そのようなマスメディアについて生徒たちの中には全くといって関心のない生徒たちが多い。携帯電話やインターネット等のデジタル社会が急速な普及と進化を見せる仮想空間社会。そんな社会環境の急速な変化が、今の若者たちの心、そして日本人の心までも蝕みつつあるような懸念さえ感じざるを得ません。
 あの太平洋戦争が終結してから55年、「戦争を体験していない世代」が約7割にのぼる現代社会。先日8月6日頃の報道では、被爆地広島の被爆体験者の平均年齢が75歳を越えたとのこと。また、被爆体験の語り部ボランティアの会が、そのようなメンバーの高齢化から解散を決めたというニュース。社会福祉への関心の高まりから介護的ケアという観点が頻りにクローズアップされていますが、個人的には「あの過去の真実」を伝え続けるという、もう1つの高齢化社会への対応を懸念しています。あの戦争を体験された方々は年々歳を重ねておられます。いつまでも今までのように過去を語り続けて行くことは不可能なことです。
 今年の夏も、戦争体験者の貴重な証言が数多く掲載された『戦争体験手記集・孫たちへの証言』(新風書房)が出版されましたが、いずれは私たちのような「戦争を体験していない世代」だけで後世に伝え続けて行かねばなりませんし、その努力を怠ることは、過去のような時代を再び呼び込むことにつながりかねないと思います。とにかく、あの時代後に生を受けた世代が「過去の真実」からも「平和と生命の尊さ、戦争という行為の愚かさ」を熱心に学び、後世が"記憶の欠・損"を決してしないような環境を整えていく責務があると思います。
 TVのスイッチを押せば、他者を馬鹿にして笑いをとるような番組が散乱しており、「生命の尊さ・思いやり」といった当たり前の大切さが、「格好悪い」「面倒くさい」「むかつく」 「きれる」といった思いによってけなされているようで心底怖いのです。
 平和学習を主とした沖縄への修学旅行を通し、約1年弱の短い期間ではありましたが、生徒たちはほとんど知らなかったと言って過言ではない「日本で唯一の地上戦の地・沖縄」を かなり強く心に刻み込んでくれたものと感じています。そして、彼等の「戦争と平和」に対する閉まりかけていたかもしれない心の扉を開けさせる平和へのアプローチが、多少なりともできたのではないかとも感じています。しかし、「生徒たちへ押しつけてしまった部分もあったのではないだろうか……」と反省する部分もあり、平和教育というのは「今の時代、とても難しい分野だな」と実感している次第です。
 元ひめゆり学徒隊の与那覇百子氏、元対馬丸乗船者の平良啓子氏、前沖縄県知事の大田昌秀氏、現嘉手納町長の宮城篤実氏をはじめとする何人もの方々から今回、直接お聴きしたお話からは、戦争の残酷さ、基地問題と沖縄県民の生活など、さまざまな「沖縄の過去、現在、そして未来」を 全身全霊で学ぶことができたように感じています。
 特に強い印象と余韻を感じていることは、「過去、現在、そして未来」を見つめていく上での 学問の重要性と必要性について説かれていたことです。今回の修学旅行を終えてからというもの、これからの21世紀を担うべき「戦争を体験していない世代」たちにとって、今から取り組むべき平和への努力が「学問の力による平和社会の創造」なのだという強い思いを、日々の日常生活の中で感じています。そして、「他者を信じることを忘れたから戦争が起きたのだ」 「悲惨な戦争を終わらせる努力は並大抵のことではない」ということも……。
これまでのたった1世紀を観ても人類は、物理的には確かに進化してはいるでしょう。ただし、精神的(モラル的な部分も含めて)には、おそらく退化し続けているのではという懸念を抱かずにはいられません。個人的に外国を何カ国か自分の足で歩く中で、特に日本についてはそのような退化傾向が強いような感覚がしてなりません。
 私はこの沖縄への修学旅行を通して、平和教育というものが「心の問題であり、心の教育である」との印象を強く感じると共に、自分自身が過去及び現在の真実から決して目や耳を背けないことと、絶え間ない平和への祈りと平和教育の持続姿勢を崩さない情熱の灯をこれからも生徒たちのそばで灯し続けることが 大切であると強く感じています。また、生徒たちには「沖縄戦」だけでなく「戦争と平和」という観点から 日本だけでなく世界の過去、現在、未来に対しても目や耳を傾けていけるグローバルな姿勢を 培い養っていって欲しいと願って止みません。
今年もまた、8月15日がやって来ました。TVでは、「戦争を知らない君たちへ」「学徒出陣・若者たちの戦争」といった番組などが放送されていました。あの時代、10代、20代の若者たちも戦場へ向かい、その多くの尊い生命が失われました。あれから55年……今年の夏のある日、ご家族の何人もを戦争で亡くされた方と現代の若者からの次のような声を目にしました。
 
(前略)
 戦争を憎悪した彼らの霊を鎮める方法はただ一つ、彼らが文字通り、命がけで作り上げてくれた憲法九条の「戦争放棄」の条文を、これまた、守り通すことではあるまいか。
 戦争の悲惨さを過去のものとして忘れ去ったら、再び巡ってくることは必定である。人が人を殺し合う戦争に神聖などという言葉を絶対に付けてはならないのである。
(前略)学校で平和授業を当たり前のように受けるが、戦争の悲劇を写真などで知りながら、「こんなことが本当にあったのか?」と、私は半信半疑に思ってしまう。
 日本は裕福な国になってしまったから、今では考えられないことが当時はあった。(中略)今の身の回りの環境を重ね合わせて考えてみても、戦争の悲劇がどうしても伝わってこない。今の若い世代には、私と同じように戦争の悲劇や無情を理解しようとしても、分からない人が大勢いるのではないだろうか。
 この夏のその二つの声は、私にとってとても強く深い余韻を感じたものでありました。これからも「それぞれの戦争」から聞こえてくる声に心の耳をすましていきたいと思います。そして、教え子たちはこの夏、何を見、聴き、考えたのだろうか……。
 
 
 
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