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佼成学園高校の生徒による修学旅行感想文

「沖縄戦」を受け継ぐために(修学旅行を通して)

「季刊沖縄」第18号、2000年10月31日発行に掲載
佼成学園高等学校2年生男子生徒
 

チビチリガマとシムクガマ

 僕は、沖縄戦を知るためには、沖縄戦を生き抜いた方々の証言記録を理解することが重要だと思っている。なぜなら、沖縄へ修学旅行に行く前に、書籍や写真集を元にしながら沖縄戦に関してレポートを書いた。(その時、一般市民の目線に立ってレポートを構成しようと努めた。)そのレポート製作を通して、証言が自分にとって、沖縄戦を考えていくうえで、絶対に不可欠なものだと思ったからである。しかし、証言記録による説明は、そうでない説明と比べると極端に少ないのである。なぜ少ないのであろうか。また、沖縄戦を語り継ぐために、僕たちは何を知り、何をすべきなのだろうか。
 以下には、僕がレポートを通して思ったことを述べておきたい。
 沖縄戦とは、人間としての最低限の尊厳さえ保持できなかった、人間が人間でなくなったのだといわれるほど、激しい戦いであった。このような状況の中で、一般市民の方々が取った行動の一例として、生死を分けた二つのガマ、チビチリガマとシムクガマのことがあげられる。チビチリガマではリーダーが中国戦線をくぐったことのある在郷軍人であったこともあり、ここの壕の人々は、男達は敵陣に斬り込み、女・子どもは潔く自決するように教え込まれていた。そこへ米軍(海兵隊)が来て、銃を構えて、壕を包囲した。ふとした拍子に聞こえた銃声が壕内にパニックを引き起した。壕内の人々は、それぞれの方法で自決し、82名の老幼男女が一瞬のうちに絶命した。
 同じころそこから1キロほど離れたシムクガマでは、これとは対照的な光景が見られた。ここには 1、000人ほどの住民がいたが、リーダーがハワイ移民帰りということもあり、日本兵のデマを信じなかった。米軍がやって来た時、リーダーは壕から出て米軍を説得し、自らが先頭に立って、壕内の人々を収容所へ導いたのだ。
 この二つの事実は、すべて暗い闇の中で起ったのである。
 僕は修学旅行として沖縄を訪れた時、糸数壕を見学することができた。そこで壕の闇を体験したのである。それは、目の前にナイフを突き出されても わからないほどの本当に暗い闇であった。しばらくの間この闇の中にいるとだんだんと恐ろしくなってくる。不安になってくるのだ。自分自身の不安になってくる気持ちを抑えるので精一杯になるのである。
 そして、チビチリガマとシムクガマのような正反対の行動が起きてしまった原因として、それぞれの集団のリーダーが、その場面に遭遇した時に、どのように判断したかで、このようになってしまったのだと思う。なぜなら、チビチリガマの場合には、リーダーが在郷軍人であったため、それまでの軍事教育により、すでに行うことは自決と決めこんでいたと思うからであり、シムクガマの場合には、ハワイ移民帰りのリーダーが日本兵のデマ宣伝を信じずに、この場を生き抜くことを考えていたと思うからである。
 しかし、「自決」によって死ぬことと、「投降」によって生きることは、どちらが良かったとは、簡単には言えないと思う。なぜなら、生き残った方々にとって、沖縄戦とは人間が人間でなくなる極限状態であった、それを思い出すのさえ大変な苦痛を伴う。沖縄戦はまさに地獄の記憶だからである。この地獄とは、死んだ方々にとっての地獄ではなく、生き残った方々の、その後の「生きている」という中にある地獄のことなのだ。
 

私たちのすべきこと

 戦後約半世紀が過ぎ、時代はまさに20世紀から21世紀へ移ろうとしているが、沖縄戦を生きぬいた方々の「心の沖縄戦」はまだ終わっていないのである。だからこそ、僕たちが沖縄戦を学ぶ際には、このような体験者の「心の叫び」を理解するように努めるべきではないのだろうか。そして、例えば、修学旅行などで体験者から直接話を聞く機会があるのならば、過去の事実をふまえ、切実な想いで語ってくれた体験者の話を自分の中に吸収し、できるならそのままの形で後世に語り継いで行くことが大切なのだと思う。
 また、僕たちが沖縄戦を理解するということは、証言記録や体験者から直接聞いた話をも含めて理解し、その中から見えてくる沖縄戦を理解するということではないのだろうか。そして、沖縄戦という事実を後世に伝えられるか否かについては、僕たちにも課題があると思う。だからこそ、僕は沖縄戦の実情を知るとともに、体験者の方々の心情を理解できるように努めていきたい。
 
 
 
 
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